キケロさん。ピエロじゃないよ。

 どうも、こんばんは。今日はnoteに投稿する記事を書き上げようと思っていたんですが、全く書いている余裕がありませんでした。つらたん。

 

 今回は、マルクス・トゥッリウス・キケロについて書こうと思います。彼はローマの弁論家・思想家・政治家ですね。彼は『国家について』『法律について』『義務について』など、後世に大きな影響を残した偉人として知られています。私も実は大変敬服している先人です。たとえば、キケロは古典古代文化の香り・格調高さを湛える作品を多く残し、修辞学の伝統そのものと言っても過言ではありません。たとえば、古典の復興運動であったルネサンスはフランチェスコ・ペトラルカの「キケロの再発見」によって始まったことからも、彼の卓越性が窺い知れるでしょう。

 

 彼は「共和政の理念」の保持こそが重要であるとし、その「共和政の理念」を失いつつあるローマを救おうとしていたのです。彼が死して、間も無くローマはカエサルによる帝政に入ることになるのです。そのまさしくローマの共和政が死そうとしていた頃に、彼は、「自然法」概念によって「共和政の理念」を補強しようと試みます。彼は「宇宙全体を支配するのが自然法であるが、人間は理性によってこれを認識することができる。理性を媒介に人は神と結び付くのであり、個々の国家ではなく、全人類を包括する理性の共同体こそが法や正義の基盤となる」(宇野、2013)と考えていたのです。

 

 例えば、「理性」、宗教においては「神性」と現実の法や正義は切り離して考えられていました。それは実は今日も同じです。「法理学」という学問があり、近年は「法哲学」と表現されることも増えてきましたが、これは「法学」と「哲学」を合体させた学問領域です。その「法」は現実社会における規範であり、「哲学」が論じる「正義」や「善」といった「理性」の総括的概念である「道徳」とは馴染まないという。なぜならば、「法」は現実の社会で使われているいわば「常識」であるのに対し、「哲学」は多分に形而上学(分かりづらかったら、言葉遊びとでも…)的であって「非常識」なことを語る学問だからです。ゆえに、「法哲学は可能か?」という議論が、「法哲学」の入門で提起されます。これと同じように、キケロが生きた当時も「理性」と「法」は切り離されていた。それは恐らく現代と同じく「現実と哲学は違う」と考えられていたからでしょう。

 

 ところが、キケロはそんな時代に、人間は「正義」を実現させる力を持っていて、それを形にするのが政治家であると論じたためです。彼は、道徳無くして共和政はあり得ず、共和政無くして道徳はあり得ないと論じたのです。それは明らかに、人々の「善」意識などの共有による合意に基づいて形成されるのが「法」であり、その「法」に基づいて人々が直接的に政治に関与していくことが必要だと説いたことと連関しています。

 

 ここで注目すべきは、キケロが「道徳」を重視しながらあくまで「法」を大切にしたことです。ローマは、その歴史の中で「ローマ法」を形成していきます。これが、現在の英米法あるいは大陸法にも多大な影響を与えていることは言うまでもなく、その形成の段階でローマ人が律法家としての資質を磨き、それが文化の特徴になっていったということは極めて面白い事実でしょう。それは、ローマ式の建築がすべて様式に沿っており、例えば、石畳の石の寸法が揃えられていたり、道標を極めて正確に設置していったことからも伺い知れます。つまり、ローマ人の極めて高い規範意識と規格性を看取できるということです。

 

 ギリシアはその昔から、ホメロスの著作からも感じられる通り、ある程度の権謀術数の渦巻く地域であり、嘘や讒言が蔓延していた地域です。そしてその不正のせいで、古代アテネは一気に勢力を減じたわけですが、ローマはその法的な定量化によりそれを免れてきました。それは今日の国民性にも通じるものがあると感じられます。ギリシャの帳簿のごまかしからはその道化を感じられますが、ローマ人であるキケロさんは全く道化ではありませんでした。ピエロさんじゃなかったんです。お粗末さまです、すみません^^;

 

 彼は、あくまで言論で闘ったイメージですが、軍務もきっちりこなすような超人でした。卓越した彼が護ろうとした共和政がその暗殺後にカエサルによって破壊されます。残念でした。しかし、その「共和政の理念」は今日アメリカに根を下ろしており、カエサルにより完全に破却されることがなかったことは喜ぶべきことかもしれません。

 

 なお、大統領選…