プラトン「借りたものは返すな!」

 こんにちは。SeiZeeライターの斉藤亮太です。粛々と毎日更新してきて、どうやら今日でひと月のようです。「継続は力なり」何て言いますけど、案外本当な気がしています。ただ継続しているのは「書く」ということで、同じことではないということは重要ですね。例えば、腕立て伏せを毎日50回やるのはいいことでしょう。逓増させる必要はありますけどね。ところが、毎日同じ文章を書くというのは暗記以外にいい点はないわけですね。「継続は力なり」は2つの形態を持っているということです。それは1)毎日同じことを繰り返す形態と、2)毎日同じことを違ったやり方でやり続けることですね。私が毎日ブログを書くことで涵養できた「力」は2の形態によるものです。

 

 さて、余談はここまでにして。さっそく題名の話をしますか。題名はミス・リーディングを誘うように書いたに過ぎないので、勘弁してください。この題名だけを見て「プラトンは借りたものを返さなくていいだぜって言ったんだよ」なんて言った人に恥をかかせようなんてそんな気持ちは、そこまで大きくないわけです。え?

 

 気になって読んでくだされば、と笑

 

たとえば、こういう場合はどうでしょうか? 友人から武器をあずかったとする。そのときは正気だったその友人が、あとで気が狂って、狂ってから返してくれと言ってきたとする。−このような場合、すべての人が次のことを認めるでしょう。すなわち、そんなものは返してはならないし、またそれを返す者、さらには、そういう状態にある人間に向かってほんとうのことを何もかも話そうとする者も、けっして<正しい人>とは言えまい、ということはね。

−『国家(上)』、プラトン岩波文庫、26項

 

 こういうことです。プラトンは場合を限定して、「こんなときは返すな」と言っているんです。だから「借りた者は返すな!  その相手が狂っている場合は!」って書くべきなんですねほんとうは。ところが紙幅がそれを許さなか…はい。まあいいよね。許して。

 

 分かりやすく、並べると

  1. 友人から銃を預かる
  2. その後、友人発狂
  3. 発狂した友人が銃を返せって言ってくる
  4. 返しちゃダメだろ!?

こういうことです。プラトンはすべての人が「返しちゃダメ!」に賛同するよね、と言っています。うん。俺もそう思う。返した瞬間自分が撃たれるかもしれないんだよ? 返すの?

 

 このように、預かったモノという自らに所有権が帰属しないモノを所有権者に返さないのが「正しい」こともあるんだってことですね。しかも、そういう人に本当のことを言う事だってやめたほうがいいって言うんです。

 

 例えば、AさんがBさんに殺されそうになって逃げています。Cさんの家にAさんが逃げてきました。CさんはAさんを匿いました。そこにBさんがやってきて、「Aの居場所を知らないか!?」とCさんは聞かれました。Aさんは地下室に隠れています。さて、CさんはBさんに本当のことを言うべきでしょうか? 

 

 いやいや。まずいですよね。下手したらAさん殺されちゃいますもんね。だからこんな時には、嘘をつくのも許容範囲なのかもしれません。「ここにはいないよ」とか。

  

 ところが、イマニュエル・カントは「Aさんが殺されるかもしれない!」といった状態においても、CさんはBさんに嘘をついてはいけない! って言うんですね。なぜならそれは「嘘をつくということがその相手の人格を攻撃することだからだ」と。Aさんを殺そうとしている−つまり人格を破壊しようとしている−Bさんにさえ人格はあるんだ。そしてそれは最大限に尊重されなければならないんだ、って。厳格なカントらしい考え方ですね。

 

 カントの記事ではないのでここで抑えておきますが、カントだってAさんが殺されるのを正直になることで黙って見てろなんて言いませんよ。

 

 「借りたモノを返す」という半ば当然なことも状況を考えた時、不適切になることもあるわけです。 

 

 プラトンの主張から私たちが抽出すべきことは、「借りたモノは返さなくていい」ということではなく笑、「物事が起きる前の状況と、その後の状況の変化をしっかり受け止めて、その現実の表象に応答すべきだ」、ということでしょう。noteにも書きましたが、学んで徹底的に考えることが大切です。この記事から学ぶことがみなさんにあると嬉しいです。そしてこれに対しても同じように徹底的に考えて疑っていただければ、筆者としてこれ以上の喜びはありませんし、是非とも反論を飛ばしてきていただければと思っております。今日も読んでくださりありがとうございます。