イスラエルとパレスチナの友人来訪に寄せて

 イスラエルパレスチナから中東の平和を願う若者たちが静岡に来た。彼らはいずれもが親族をイスラエルパレスチナの紛争で亡くしている人たちでした。私は何とありがたいことか、偶然彼らと触れ合う機会を捉えた。というのも、在籍している大学の広域ヨーロッパ研究センターが事業に協力したためです。

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 彼らとディスカッションをして感じたことは、彼らが紛争域で生きるためか日常の捉え方が「全然違う」ということである。私たち日本人の生活にも、ぼんやりと「死」はあるかもしれない。それは例えば交通事故とか、病気とかといった形のものが。しかし、彼らの生活には「死」そのものが横たわっている。交通事故や病気のみならず、民族紛争がある。生活に「銃」や「戦車」「戦闘機」が入り込んでしまったのです。日本では、それらは「非日常」です、間違いなく。

 

  そして彼らと話していて多くのことに気づかされた。例えば、パレスチナで毎日のようにイスラエル軍により殺される人々の話を。協定があるために拳銃の使用は表向きにはしていないことになっているが現実は違うとのこと。

 

  何よりそれを私たちは知らない。なぜだろうか。こんな示唆的なやりとりがあった。

"You, Japanese, don't know this, because media in English doesn't report."

 "I suppose you'd like to say 'So Japanese don't know?'"

"Yes, because of Israel."

(これを理解するのに5秒くらいの空白が必要だった)

"...OK. I understand. Our alliance is the US and America supports Israel, so we, Japanese, don't become against them. To make matters worse, we get information from media in English. So we cannot realize that all the more. Right?"

"Exactly."

 

おわかり頂けるでしょうか。本当にこういう会話でした。

 

www.at-s.com

 

  

 

 

www.chunichi.co.jp

 

 しかし、私はここで大きな異を唱えなければならない。それはこの日程のパッケージングをした人に対して。徹底的な、中東文化とりわけイスラム教への無理解、無教養、無配慮に。彼らの頭の中でどういった解釈で、かつどういった思考でこの日程が組まれたかも、料理や入浴の内容を組まれたかも分からない。大浴場しかない宿で、中東圏の女性がのびのびと入浴できるのだろうか?

 

 

www.yomiuri.co.jp

 

 彼らは安倍首相に思いを伝えて帰って行った。しかし、極めて残念なことだが、日本におけるメディアで彼ら一人ひとりの"story"はほとんど報道されていない。自分の腕のなかで妹が死んだことや、叔父と父がイスラエルに抗議して命を落としたことといった、一人ひとりの何よりも大切なことを伝えていなかった。彼らは何をしに来たのか。遺族者会としてその紛争の悲惨さを伝えに、そして止めてくれと言いに来たのに。以前、イスラエルパレスチナ紛争を、一時的にしろ止めた麻生太郎元首相のいる日本に何をしに来たのか。伝わらなかった彼らの想い。涙が止まらない。