塾講にふりかかる生徒の「忘れた」の脅威

 俺は、別に「怒る」ことが苦手ではない。しかし、「怒る」ことが馬鹿らしい場面もあるために、怒らないことが多々あった。例えば、塾講時代の生徒の宿題忘れ、持ち物忘れだ。怒っても意味がない。

 

 これは何も、「生徒が困るのであって俺は困らないから」というわけではない。忘れてしまったモノは忘れてしまったモノであって、怒ったところで解決することは本当に少ない。それに、生徒の到達度の確認は宿題を見られないとしづらいので、実は講師も困るのだ。生徒の勉強をサポートするには常に生徒の学力状況ー言い換えれば、暗記状況ーを確認する必要があるからだ。

 

 宿題or持ち物を忘れた生徒には必ず「忘れた理由」を聞く。宿題なら「やったけど忘れた」とか、「時間がなかった」がテンプレートで、持ち物忘れは「机の上においてきてしまった」とか、「なくした」が定型だ。うん。別にどんな理由でも構わないよ。俺が理由を聞くのは、コミュニケーションのためにであって、怒るとか、追及するためじゃないから。テンプレ聞くと、「うそだ」とか思いがちですが、そんな不確定要素満載の判断俺は下さないからね。

 

 俺たち、講師の問題はそこから。「宿題の量多かった?」とか、「もしテキスト忘れやすいならおいていっていいよ。」とか何らかの解決策を練り、提案していく必要がある。それこそ講師に求められていることだと思うからです。というのも、人は気をぬくと勉強なんてしたくないとなる。その気持ちを抑え、勉強するサポート役として存在するのが塾講だからです。^^

 

 こういう風に怒りたくないのは、宿題なんてやらなかったし、持ち物を持っていないことが日常茶飯だった過去の自分を否定しないためなのかなぁ。なんて。