高校までの先生の仕事環境を変えてみよう

よく「教員は社会しらずだ」などといった定型の批判が飛ぶ。これに対し私の態度は「あっ、そうですか」だ。

 

 

転じて、というか一切違うことを以下では書く。まず、「高校までの教員は教育者であると同時に学問者であること」を忘れないで欲しいということだ。私がこれまで関わってきた先生の中で、授業の質がいい先生と悪い先生の差で共通していることがひとつある。それは、「毎年度新たな授業ノートを作っているかどうか」である。

 

そして、毎年度新たなノートを作る先生は、必ずと言っていいほど、その本棚に自らの教科に関する本をたくさん備えており、参照している。また、私が大好きだった物理の先生は、頭を捻らせながら『化学の新研究』をやっていたし、生物の勉強をしていたし、歴史小説を読んでいたし、英語文献にもあたっていたり、と実に多く学んでいた。

 

 

うん。いいよね。かっこいい。彼は元々研究者を目指していた学問人としての矜持を持ち続けていたのだ。あの先生と出会ったことで思いついたことがある。

 

 

それは、先生の週5の勤務のうち1日を大学での学びにあてようというものだ。つまり、月から金までのたとえば金曜だけはA先生は、講義を大学あるいは大学院に受けに行く。そしてそれを勤務として認めるのだ。先生が絶えず進歩することで、現場での教えも洗練化されると感じるからだ。