俺がしたくないひとつのこと

私にはどうしてもやりたくないし、目指したくもないことがある。それは「誰かを変える」ということ。例えば、「社会を変える」ということは、社会と人々の関わり方を変えることだけれど、「誰かを変える」ということは「その人をその人でなくす」ことを意味することに思えてならない。

 

つまり、他者を変えるということは「誰かをその人自身ではなくす」もっと言えば、「自らの考える良い形に誰かを変える」ことであり、恐るべきほど独善的で偏っている様に思えるのだ。

 

重ね重ね記するが私の座右の銘は「まず疑ってかかるのが科学です」です。そのため、「自らの考える良い形」に極めてクリティカルであることも求められます。そして、その様にありたいと考えています。

 

私が「わかものと政治をつなぐ」活動をする中で、「投票に行くことは良いことだと思ってもらう」とか、「投票率はあげなければならないことを気づいてもらう」といった目的でイベントを催す人と出会う。私としては、勝手にしてくれ、と感じるけれど、もし誰かが投票に行く必要はない、と考えていたとしたら、それを「変革せしめる」みたいなことってしていいのか? と思ってしまうのです。

 

何らかの対話の場を作って、ファシリテーションやらなんやら使いつつ、場を盛り上げ、議論を深める過程において、参加者が「あっ、こういうのがいいよね」と気づいたり、考えを改めることに異議を挟み込むつもりはないし、私もやるけど、「誰かを変える」っていうのはなんか違うよなって思う。

 

究極的に変えることができるのは「自分自身」と「社会制度」だと思うし、よしんば自らの理想に沿った形で「社会制度」を変えられてもその理念を誰かに刷り込もうってのは間違っていると思うんだ。

 

という、自らの正しいことと間違っていることの考えを刷り込もうという記事。盛大なブーメランなう。