俺が政治家にはならないたったひとつの理由

1.よく言われますけど

「わかものと政治をつなぐ」活動をしていると「政治家になれば?」とか、「政治家になって社会を良くしてほしい」、「君になら1票を託せるから政治家になって」と言われることが多々ある。実は高校生時代から、「君はリー・クアン・ユーみたいな指導者になれる」と言われて悪い気はしなかったし、「日本国民がよほどバカじゃない限り君についていくと思う」と言われていた。確かに当時の私は「政治家こそ我が天職」くらいに思っていたと思う。

 

でもね、今の私は当時ほど「政治家」になることに前向きじゃないんだな。

 

2.それまでの2年と、それからの2年

「わかものと政治をつなぐ」活動を始めて間もなく2年。そしてその前の2年。この2つの中で、私は決定的に違う考え方を持っています。

 

まず、「わかものと政治をつなぐ」以前のわたしは、正直に言って「政治家」になりたかった。それは、社会の問題を解決するということ以上に「権力」が欲しかったからに他ならない。これは私が高校生だった時のお話。当時は今と違って自らの立場を明確に示していたと思うし、今とは違いもっと尖っていて、正直発言も痛快だったろうと思う。

 

「わかものと政治をつなぐ」活動を始める少し前に私は「学問に身を捧げよう」と決意した。その時から私の座右の銘は「まず疑ってかかるのが科学です」になった。これは今でも変わらないし、今までに持った私自身の行動指針の中で最も洗練されたものだろうと思うため、変えるつもりもない。

 

学問をやろうと思った私は文献や議論による考えの深化のみならず経験や感覚による知見の深化が重要だと考えた。そのためにー今思えば短絡的だがー「フィールドワークが必要だ!」と思い、何らかの活動に興味を持った。補遺ですが、当時は法律学を専門としたかった。とはいえ、「法律学のフィールドワークってなんだ!?」と疑問がわき直接法律学を経験することはできないだろうと思った。そのため「よしっ、法律をつくる政治に携わってみよう」と、「わかものと政治をつなぐ」ことをはじめた。

 

これを始めた時は「ハラダケンスケ」、もちろん「ソトンフィ」もっと言えば「どっとじぇいぴー」さえをも知らなかった。

 

3.ヘンかした気持ち

「まず疑ってかかるのが科学です」を座右の銘にして以来、「自らの考えは疑うべくもなく間違っている」と考えるようになった。そのため、政治家のように「自らの主張を正しいと考え、社会的にそれを実行・実現しよう」とする職への積極性は間違いなく否定された。「勉強」ー正しい何かをまなぶことーから、「学問」ーすべては誤りだと考え検証することーへの質的変換が私のなかで起きたための当然の変化だったなぁ、と今は思う。

 

結論として、自分の考えをも正しいと思えない人間が「政治家になるなんてありえない」。故に、現時点で私は政治家になるという選択肢を完全に除外している。

 

そう私が政治家にならないたったひとつの理由は、自らに義務付けている行動指針の「まず疑ってかかるのが科学です」の存在のためです。それに私みたいな地方のFラン大学に通う人間が「政治家」なんて適任じゃないでしょ。いまだ「学歴社会」の日本においては。笑